バイクツーリング&槇尾山
ハイキンヴ&蔵岩クライミング
2007年11月4日 (日)
中野(記録)
遅朝ランニングを終え帰宅しても未だ10時半、天気は良くアウトドアを楽しむには最高。シャワーを浴びながら、バイクのツーリングのついでに岩登りでもと思いついた、近くて腕肩の負担無く登れる処、槙尾山の蔵岩に決定。
浴室を飛び出し、早急に準備に掛った。クーラーBOXに保冷材と缶発砲酒を1缶投げ込み、ザイル、ヌンチャク、シャンテ、クレッター、ハーネス等を適当にザックに詰め込み、身支度をし、鉄馬に跨ったのが11時半少し前。
ウインドブレーカーを羽織った為か殆んど寒さは感じない、地球温暖化の影響でツーリングの最適時期が10月から11月にずれているようだ。
街中を外れ、速度を増すと泉北道に入る。流れに入りながらもスピードメーター、前方、ミラーと忙しく眼を切替えていく。居た、左前方道肩に赤色灯を回転させた車とその前にもう一台。
記憶が蘇った、随分前、10年以上の一昔以上の事が、仕事の帰りでの出来事だった。ホンダのVFR400Z、車体重140 k g足らずで59馬力、当時で最高を誇ったスポーツバイク。その前はRZ 3 5 0 Rの2サイクルに跨っていたが、エンジンの特性が違う為、舜発力はRZの上だか乗り易さはVFRの方が上、当時の女性白バイ隊に採用されていたバイクだと記憶している。
要は扱い易い高性能バイクである、アクセル少し捻るだけで意図も簡単スピードが出る、勿論出した事は無いが200kオパーは可能だと思う。
そのバイクで、堺の水道局に調査に行った帰りを急いでいたと時だと思う、泉北道は可也空いていた。。100k近くは出ていた、バックミラーに小さく白バイらしい姿が写ったと同時に瞬間的に、ブレーキを右足で踏み、右手でレバーを引いた。スピードが落ちたと同時赤色灯が廻り、スピーカーで何か喋っている。しまったと思った、免停だ。結局、スピードを落ちた処で速度計を押してくれた様、20km未満で済んだ。
途中、コンビで行動食と、:肴を買い込み槙尾山駐車場に着いた時間は12時半、約1時間のツーリング。
早速仕度し出る。フリーのゲレンデに寄ってみる、10人程取り付いていた11ルートにもいた、早々に引き上げ、蔵岩に向かう。確か左側に蔵岩、槙尾山頂に通ずる登山道が分岐している筈だが、解からない、仕方が無いので縦走道に出てから入ろうと、上って行く。 途中地図上で、左に入れば着く様な分岐を見つける、但し黄色いテープで塞ぎ、行き止まりと有る。入って行くと人が可也入っている様で所々木々に赤いテープが巻き付けて有る。 ドンドン入るが、最初は上っていた道が下り、谷に入って行く感じに成った。行けるかも知れないが時間が返って掛りそうなので、引き返し元の縦走道を行く。
標識は無いが、左側分岐を入って行く、15分程で蔵岩に着いた。2時過ぎに成っていた、1パーティ7人が取り付いている。遅い昼食を取り、準備に掛る、登りたい処は占有されているので、反対側を降りてシャンテで旱じる。3級も無いくらい、腕肩に負担が掛らないので調度良い。
適当にザックに装備を詰め込だので、メットを忘れた、岩は結構そんなにも脆くないが、小石が多い、ザイル操作でそれが落ちる。
2回目は7人パーティと同じ面を登るため、降りるのにザイルを投げないで持って懸垂をした。此処は3級くらい、久し振りの岩登り、感触を楽しんでゆっくり上る。
上に着いたら7人は帰り仕度を始めていた。時間は3時半、発砲酒を持って来ている事を思い出し、この見晴らしの良い処で廻りの山々を肴に一人宴会をする事にする。装備を仕舞い、7人を見送り、その岩場で飲む。
時計を見ると丁度4時、空き缶をザックに入れ、7人の後を追う様に降りる。この下山道は随分昔、降りた様な気がするが、多分元の出発点出られるはずである。
10分程降りたら人家が有った。こんな山深い、それも狭い登山道しか無い処に、何故有るのだろう、お寺では無いようだ、普通の人家。以前の記憶ではこんな処には家は無かったし、最近出来た感じではなく古くから有りそうな佇まい。
暫らく進むと行き止まり、この家専用の道に入り込んだ様だ。山が深くもう当りは薄暗い、ヘッドランは持って来ていない。兎に角戻るしかない、何処かで左入る処を直進した様だ。戻るには少し左側に降りて行かなければ成らないはず。
戻り捜すがその道が解からず、益々廻りが暗く成り始める。仕方が無い、時間は掛るが来た道を戻るしかないと、判断し上に上る。
岩場の処に戻ると視界が広がり明るく成った、太陽が可也西に傾いている、其処を通り越し又、木々の中に入るとヘッドランが欲しいくらいの暗さに戻る、持って来なかった事後悔する。
途中、左に入る処を右に入り、縦走道には入った処と違う処に出た。少し遠廻りした様だ、時間は5時前、後は一般の登山道、問題は無いがもう廻りは、足元が見ずらくなってきている。鳥眼でない事が確信出来き、急に思い出した事が有る。
何時の頃だろうか、多分昭和30年代の半ば、真ん中の妹が小学1年生くらいかな。夕方に成ると眼が見え難くなると訴え、眼科に行くと鳥眼と診断された、栄養失調の為である。(ALWAYS)の時代、日本全体が貧しかった。『脚気』とか、しもやけ、あかぎれ、全て栄養が不足していた精であろう。
鳥眼では無いが、ヘッドランが無い、もう30分も経てば月灯りも届かない木々の中を歩かなければ成らなくなるので急ぐ。
駐車場に辿りついたのは5時半過ぎ、自宅には6時半ごろに着いた。
本日の行動 バイクツーリング、約2時間 クライミング、1時間半 ハイキング、約3時間半、+ランニング15kmと中身の濃い一日であった。
(中野)
